人生は夕暮れから面白い

冒険心と感動を持たない人生はつまらない

夢のような旅の日の一コマ

 いつ思い出しても鮮やかに甦ってくる光景というものがあります。もう20年少し前のことですが、青函トンネルを見て見たい・・という衝動に駆られて、ひとり旅に出たことがありました。

 いつもひとり旅はワタシの常識なんですが、何分子供が小さいときには若い頃のようにひとりで出ることは出来ませんでした。

 坊主が高校生になったことだし、もう親のワガママも許されるかな・・と青函を通り札幌までの列車旅です。

 この時に、あと数年で「特急白鳥」が無くなってしまう・・というように言われていたものですから、白鳥に乗ることも念願のひとつでした。

 若い時はこの白鳥で夏も冬も旅をしたものです。大阪駅を湖西線が出来る前は10時10分発。湖西線が出来てからは10時20分発でした。あの、今では想像もできない11番ホームからの発車です。今は明るく綺麗になりましたが、昔はうらぶれた雰囲気が漂った、違和感のあるホームでしたね。

 久しぶりの大阪発の白鳥乗車は最初はワクワクしていました。福井県での直流・交流の変換区間の惰力走行もそのまま・・・、それに人の乗り降りも多かったのですが、車内販売が無くなっていることに気がつかなかったのです。

 

 新潟から山形、秋田・青森とはとてつもなく時間が長いです。新潟で午後4時。日本海に大きく赤い夕日ガ沈む光景も、まさに昔のままです。

 それは感動的なのですが、現実はもう空腹の限界で、途中の駅にも販売は無く、ガマンの限界を通り越してしまい青森11時45分着まで待ちきれず、11時30分に弘前で降りてしまいました。

 車内は昔とは違い、人の姿もまばらでした。後ろの方に、教師らしい4人組が職場の事とか子供の事を話し合っている声が聞こえましたが、秋田弁か青森弁はフランス語を聞くようで充分聞き取れませんでした。

 それにしても、何故先生方がこの列車に途中駅から乗って来られたかも不思議なんですが・・・。(^-^)。まあまあ・・・・・。

 弘前の駅前のホテルに泊まり、次の日の朝早く青森を目指して出発することにし、まずは腹ごしらえです。

 田舎の街にしては結構大きい街で、歩きまわれば24時間営業のすき家が灯りをつけていました。

 

 すき家は当時関東以北にしか無く、大阪にはありませんでしたので珍しいというのが印象的でした。小さい冷や奴のついた牛丼定食を食べてホテルに帰り、列車で座り続けてひたすら痛かった尻を休めて朝まで熟睡しました。

 次の朝札幌を目指し、まずは函館へと出発です。函館までは在来線で30分、7時半の列車に乗れば8時に到着します。

 ワクワク気分で「どらえもん列車」に乗り込みました。

 なんと客はワタシひとりで、こんなにガラガラなのか・・・と思いきや、隣のホームに東京からの寝台車が到着すると降りてきた人々がどらえもん列車に殺到し、席はまたたく間に埋まってしまいました。

 まだ走っているのですかねぇ・・・、海峡〇号とかいう、あのどらえもん列車・・・?。

 

 函館まで、青函トンネルを見ようと期待していたのですが、列車がトンネルに入ると、そこはすっかり闇の世界。 で、全く何も見えませんでした。

 津軽線と小国信号所で分岐した海峡線は初めての路線でした。

 津軽線、とても懐かしい路線でした。津軽浜名で降り、今別町の寺で、たったひとり泊めてもらったことも懐かしい思い出ですからね・・・。

 函館からはスーパー北斗で札幌へ・・・。この時に、札幌駅が高架になり、大きく変化していた事を知ったのでした。

 札幌では、今もまだ走っている市電を撮ったり、藻岩山に登ったりしながらのんびりした日を過ごしました。

 

 

 帰りに、夢のような世界に遭遇したことを、次に書かせていただきますね・・・。

つづくです(^-^)。

 

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