夢のような旅の日の一コマ つづき
途中で競馬の話が入ってしまい、申し訳ないです。
札幌からの帰りのことですが、再び弘前に降りて泊まりました。弘前はいつも通過の街でゆっくり歩いたこともなかったのです。
ですから弘前城址を見たり、ここから見える岩木山を見たりとのんびり歩き回っていました。
弘前からは五所川原に出れば津軽中里まで津軽鉄道が走っています。いちど津軽鉄道にも乗りたいと思っていましたのでJRで五所川原に出て乗り換えることにしました。
この時に乗った列車が、俳優の香取慎吾さんが幼稚園のおちびちゃん達とペインティングした列車だったのですよね。
テレビでCMを見る度にどこの鉄道だろう・・・と思っていました。まさか、自分が乗ることになるとは思ってもおらず、感激のひとことでしたよ・・・。(^-^)
津軽鉄道はりんご畑の中を縫うように走っていきます。まさに手を伸ばせば白い袋がかけられたりんごや赤く色づきかけたりんごにも届きそうな距離感です。
まさかぁ、りんごを黙って頂いたりはしませんが(^-^)、その光景を眺めていました。遠くに、見る角度により姿を変えながら岩木山が望め、真夏であるにも関わらず涼しい風が車内に吹き込み、また車内には扇風機が古風に回り、まさに旅の醍醐味を感じさせてくれる列車の時間でした。
金木まで行こうと思っていました。金木は太宰治の生家津島家が「斜陽館」という名前で旅館になり、その後は資料館として開放されています。
これをぜひみようと思っていました。
今でこそ金木駅はきれいに建て替えられて、観光地の駅になってしまったようですが、ワタシが訪れた時にはまだまだ田舎の、風情のある駅でした。
駅を降りて、斜陽館に行く道をたまたま一緒に駅に降り立ったご婦人にお聞きしたのです。
ここからですよ~~~、まさに夢のような出来事は・・・。(^-^)みなさんいいかな~~~。
「では、一緒に途中までご案内しましょう。」と言って頂き、ふたりで歩きはじめました。この方は白いワンピースを着て、白いパラソルを差しておられました。
「あなたも観光に来られたのですか?。」とワタシ・・・。
「いえ、青森市内に住んでおりますが、母が今はこの町にひとりで住んでおりますので絶えず様子を見に帰ってきているのですよ・・。」
会話はこのぐらいだけで、ほとんど無言のまま二人で歩いていました。
細い十字路にさしかかったとき、
「では、ワタシはここで失礼致します。このまま真っ直ぐお進みいただければすぐに左手に斜陽館が見えて参りますので・・。では、ごきげんよう・・・。」
ワタシも丁寧に、「ありがとうございました。お手数をおかけしました。」ときちんとお礼を申し上げてお別れしました。
その方の後ろ姿をしばらく見送っていました。
颯爽と背筋を伸ばした、スタイルのいいご婦人の白いワンピースと白いパラソルが、真昼の強い日差しの中に、白く照らされた道の向こうへと段々小さくなっていくこの光景・・・が、まさに映画のシーンのような情景だったのですよ・・。
監督が「ハイ、カット~~。ごくろうさん・・・。」と声をかけそうな、そんな雰囲気だったのです。
ワタシはレイバンのサングラスをかけていました。サングラス越しの、くっきりした町の中での一コマが、心に焼き付いて20年少し経った今も鮮やかに甦ってきます。
ホント、絵になる光景でしたね・・・。
とここまで・・・。(^-^)
金木の斜陽館をゆっくり見て、金木駅に着いて乗った列車は行きに乗った列車の折り返しでした。びっくりしたのはたまたま行きと同じ車両の同じ席に座ったら、向かい側におじいさんとお孫さんの二人が行きと同じように座っていました。いや、お孫さんは座席で寝ていました。
このおじいさん、子守でこうして毎日列車に乗っているのだろうか・・・とふと思いましたね。
五所川原に戻れば、弘前行きの列車までまだかなりの時間。昼を食べていないことに気づいて駅近くの食堂に飛び込みました。
ところが、食堂のおばちゃん・・・・。全然注文すら聞いてくれないのです。こちらの存在には気がついているのにですよ・・・。シビレを切らして、「おばちゃん、何が出来る?。」と聞けば無言・・・・・。
「おばちゃん~~、何が出来る?。」
フランス語のようなアクセントの津軽弁で、「いま飾りもん作っているから難しい・・。」というような事を返してくれましたので、
「何を作っとるんや?。」とのぞき込めば、明日からのねぷた祭りのかぶり物の飾りでした。
「ふ~~ん・・。」とワタシも注文を忘れて、その飾り作りをしばらく眺めていて、結局何も食べずに店を後にしました。
五所川原から弘前までは、バスの方が早く出発すると聞いたのでバスに乗り、弘前駅に降りてから今は無きダイエーに入って、サンドイッチとビールを買い簡単な昼を、中途半端な時間に済ませました。
五所川原でもバスが出る間での間に、町内もあちこち歩き回ってみましたよ・・。
ねぷたは縦の人形なんですねぇ・・。もう、何処とも祭りの準備に余念が無く、みなさんそれのみにかかっておられましたねぇ・・・。
弘前でもう一泊して、ねぷた祭りを見たかったのですが、生憎何処も空いている宿は無く、仕方無く断念しました。4時過ぎの、大阪行き寝台「日本海」の指定切符を持っていましたので、もう弘前は次の機会に・・・と思い帰ってきましたが、それ以後20年少し経つのに弘前を訪れたことは無いのです。(/_;)
寝台車って好きです。昼間は座席が広い割に3人掛けですからゆったり座れます。(^-^)
午後4時少し発の日本海は、もうベッドがセットされてありました。
寝台車って寝るのがもったいないのですよね・・・。通路になっている窓側の椅子に腰を下ろして、外の景色を見ているのがたまらなく好きなんです。
明るいうちは景色も充分見れるのですが、やがて帳が降りれば暗闇が窓の外に広がるばかりです。でも、畑や山間部だけを走ることなく列車は町の中も通りますから、線路際に住んでいる様々な人々の日常がすぐ近くに感じられます。
夏場は開け放した窓の中の、人々の営みが手に取るように垣間見れ、映画のワンシーンのように目の前を流れていきます。
ある家では夕飯を食べていたり、またある家では夫婦ゲンカをしていたり、またある家では夜伽(通夜)であったり、無言のドラマが静かに流れていきます。
走馬燈のように・・・という言葉が一番的確かも知れないですね。
若い時はこんな景色を見つめながら、郷愁に陥いったり、また自分の先行きを案じたり、感傷に浸ったりと夜汽車ならではの物思いに心を痛めたこともありましたねぇ・・。
夜汽車って、もう今のスピードの時代では死語になってしまいましたが、旅の醍醐味そのものでしたね・・・。
そうそう、弘前の駅のすぐ横に江南鉄道に続く地下歩道があります。ここも歩いてみようと思い、往復してみましたが意外な事を発見しました。
中学生らしい不良坊主が、この地下歩道の手前で降りてきちんと自転車を押して歩くのですよ・・・。まさに、えぇぇぇぇ~~~という驚きでした。
こんなの某都市なら、注意の看板出そうが車止めしつらえようが、仮にガードマン立てようが不良坊主はおかまいなしの傍若無人ですよ・・・・。
弘前の不良坊主って、きちんと躾られているのには驚きでした。
ワタシはパチンコを止めて、もうかなりの年月が経ちますが、弘前で大人がこっそり入って行く店に潜入したことがあるのですよ・・。(^-^)
看板も無い、音もしない・・・、何の店や~~と入ればパチンコ屋でした。(^-^)
で、1000円で玉を買って遊んでみれば、それが意外な事に5000円の大箱一杯に玉が増えてしまったのです。(^-^)ラッキー・・・。
で、ホテルに帰りしなに駅前で、シュラフに寝ていた大学生と話し込んでしまい、夜食を奢ってあげることにして行きに入ったすき家に再び足を運びました。
筑波大の折り目正しい青年でした。理科の教師になると言ってましたので、もうきっと先生になられたのかも知れないですねぇ。
今なら40歳半ばぐらいかなあ・・・?。池田君と田中君と言われていました。
もの覚えいいでしょ・・・。(^-^)びっくりでしょう?。実はぁ・・・ワタシはサヴァン症候群なんです。(^-^)興味のあることは一度覚えたら忘れないですよ・・。
まあ、この話はこの具合で・・・としておきます。(^-^)
津島家 斜陽館