人生は夕暮れから面白い

冒険心と感動を持たない人生はつまらない

廃墟・・・何となく好きです・・(^_^)

 FBに投稿されていたA氏の軍艦島こと端島の写真に感動を受けました。端島は一度ワタシも行ってみたい所でしたから・・(^_^)。

 相当かなり以前ですが、渡る方法を調べても渡航禁止地域に指定されていて、許可を受けないと渡れなかったようでした・・。それが、今では世界遺産に登録されて以来、渡航も可能になったのですねぇ・・。一度行ってみたいなあ・・・と、ホント・・ときめきましたよ・・(^_^)。

 廃墟と言えば廃墟なんですが、もう遙か昔に5年暮らした福岡県遠賀郡水巻町は炭鉱町の跡地でした。

 其処に建った賃貸公団に一人住んでいたのですが、入った当時は炭住と呼ばれた長屋が、まだまだおびただしい数残されていて、ひたすら興味だけで探検をした事が何度かありました。もう周囲は草むして、夏の蚊に食われてですよ・・・(/_;)。

 夜になれば団地の周囲は真っ黒の闇です・・。とんでも無い処にやってきたものだと後悔しましたよ・・。「思えば遠くへ来たもんだ~~~ハァァァァ~~~~でした(/_;)。」

 開け放たれてうち捨てられた一軒一軒には、鍋や釜、カチカチになった作業着、朽ち果てた水屋(食器棚)に昭和30年代の古新聞の束に・・・・と当時の人々の生活の名残がセピア色になって残されていました。

 当時、カメラを持ってきていませんでしたので、写真を撮らずに瞼に焼き付けただけですが、それでも哀愁の一言でしか無い様子を感じました・・・・。

 きっと端島もそんな様子なんだろうなあ・・・と思っていたのですが、以外とネットで調べて見た写真ではきれいにガレキが片付けられていていささか拍子抜けでした。

 でも、当時を知る貴重な遺産ですので大切に保存してほしいと思いましたね・・・(^_^)。

 炭鉱住宅はいつの間にやら綺麗に取り払われて、其処に新しい団地が建ち、すっかり様変わりをしてしまい、今はもう見ることは出来ません・・・。

 炭鉱住宅以外でも、炭鉱のオーナーさんが住んだ御殿のような家もすっかり朽ち果てて、天井からつり下げられたシャンデリアも斜めになり、当時としては目新しかった六角窓もガラスがすべていたずらなのか・・割られていて、洋間に敷かれた赤い絨毯から雑草が生え、もう外からの様子しか見れなかったことも懐かしい思い出です。

 当時は、まだボタ山も残されていたのですよ・・。ボタ山って遠目には草むして緑の山に見えますが、登ればスニーカーが真っ黒になり、ガラガラと石炭殼が崩れる危険な山だという事も初めて知りました・・・・。

 雨が降ればボタの周囲はいつも真っ黒な水であふれていましたしねぇ・・・・。

 まさに廃墟・・・、栄華の後の、夢の名残は寂しい光景でしたね・・。

 長い間ワタシは気づかなかったのですが、友達が持って来てくれた地図で道路と並行して鉄道が引かれていた跡も知りましたし、まさにわが国の文明がいかに気づかれて行ったかを知るには格好の教材でした・・・(^_^)。

 

 それらもすっかり変化し、数年前に訪れた時には「山の神」と言う峠を越える地域も地名をすっかり打ち消し、道路もつけ替えられてオーナーの廃墟もすでに無く、近代的な分譲住宅へと変貌していましたから、ワタシの記憶もすっかりリセットされてしまったような空しさでした・・・。

 

 端島は、このまま保存がなされるようなので、とても嬉しく思います・・・(^_^)。

 当時の人々の生活や先人の努力を遺産として後生に語り繋いでほしいものですねぇ・・(^_^)。

 でも、A氏はよく思い切って行かれたものだと感心しきりです・・・。(^_^)

 すばらしい経験をお持ちになられましたねぇ・・・。ホント裏山の鹿ですよ・・(^_^)。

 

 廃墟と言えば、北海道でも廃墟をたくさん見ました・・。でも入らなかったです・・。いま一番人気のスポットは「金華駅(かねはな)」なんかもそうですよね・・。石北線の小さな駅です。今は列車は止まりません。すぐ300メートル先に常紋トンネルがあります。

 ここは絶えず人骨が出ることで知られていて、心霊スポットですからちょっと引いてしまうところです・・・。

 だから近寄らなかったです・・・(/_;)。

 去年の夏の終わりに、数年前に走った時からも捨て置かれたままになっていた国道32号沿いのドライブインや蕎麦屋の廃墟、それにラブホの廃墟もすべて外からですが覗いて見ました・・・。

 ひやあ~~、やはり誰かが探検に入った跡は何処もあるものなんですねぇ・・・。まさにびっくりでした。(>_<) びっくりと言えば廃墟ラブホの塀を見て、どんな風になっているのだろう・・・と入れば、もう完全に朽ち果ててガレキの塊。裏に回ると草むしてもうバイクを反転させるスペースも無く、探訪は中止でした・・・。

 それに何より、国道32号たって昼日なたとは言え、廃墟の不気味さと何ら変わらない交通量の少ない山の国道ですよ・・・。(>_<)

 ここで、何かを連れて帰りそうで、やはり逃げるが勝ち~~ともう即座にバイクで逃げ出しましたよ・・・。

 ホントかどうかワタシは見ていないので分からないですが(/_;)、深夜に伊豆のトンネルで急に車がエンストしたので、ボンネットを開けに外に出てみたら後部席に人が座っているのを見てアタマの毛が逆立ったとか、バイクが急に重くなったのでバックミラーで後を見たら後部席に誰かが座っていたとか・・・・こんな事になれば恐ろしいですからねぇ・・・(>_<)。

 いやはや、廃墟だけで無くとも、時と場合によりとんでも無い事が起こるようです・・・。

 もうネットはこんな事が克明に書かれていますからねぇ・・・。怖!

 

 端島・・、いや軍艦島と言った方がとてもリアルですねぇ・・、ホント一度は行ってみたいです。

 しかし・・それにしても、何でもかんでも反日にすり替えるウマ&シカ国家の暴挙と言うか・・・、捏造・妄想は許しがたいものがありますよ~~、当時の軍艦島の人は

みんな等しく差別無く一緒に働いて来たとか、子供に危険な作業をさせた事など無かった・・・と言っておられますがねぇ・・・。

 まあ、シロでもクロで、妄想であろうが虚言であろうが、言いだしっぺが真実で・・なんて許されるものではありませんよ・・・(>_<)。

 歴史の捏造は、果たしてどちらがやっているんだか・・・・(>_<)。

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 文化遺産を後生に語り継いでいきたいです・・。

 

 

 

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