福永洋一って知らないかも・・・?。
若い人はきっと知らないでしょう・・・。往年の天才騎手です・・。もうどのような馬に乗っても、必ず馬の実力を最大限に引き出してしまうと言う、まれに見る天才騎手でした・・。
ワタシはテレビで見ていたのですが、1979年(昭和54年)の3月4日、阪神競馬で前方の落馬を避けようとしたものの、騎乗していたマリージョイとも落馬してしまい、脳挫傷で騎手生命を絶たれた不運の人です・・・。
そのうまさはホント見ていても、こんな騎手いるんか~~~と、ド肝を抜かれるような騎乗でしたよ・・。
逃げてもよし・・、差しても追い込んでも良し・・・と自由自在。この人は馬と話が出来るのではないか・・と思うくらいの、まさに超天才だったのですよ・・・。
洋一氏の名前を出したのは、先日のダービーで優勝した福永祐一は洋一氏の息子であったからなんです・・。
洋一氏は八大競走(3歳(旧4歳)馬のクラシックの5競走(桜花賞、皐月賞、優駿牝馬(オークス)、東京優駿(日本ダービー)、菊花賞。五大競走あるいは五大クラシックという)に古馬の天皇賞(春・秋)と有馬記念の3競走を加えた8つの競走)をすべてを制覇した程の人ですから、ダービーを勝てていない祐一には父を越えることが至難の業でしかなかったのですよね・・(/_;)。
祐一もとてもうまい騎乗ですよ・・。でも、しばらくは勝てない事が続いて、本人もジレンマに陥っていた矢先のダービー制覇ですから、きっととてつもなく嬉しかったと思いますよ・・・。
高知競馬の花形ジョッキーに赤岡修次がいます・・。高知では赤岡から買えと言われている程、連対率は高い騎手です。この人は洋一氏の中学校の後輩にあたる人なんです・・。ムスコの祐一が創設した「福永洋一記念」の第一回勝利騎手はまぎれもない、この赤岡でした・・・。
もし洋一氏が落馬と言うアクシデントに見舞われなければ、至上最高の勝鞍騎手を引退して、きっと調教師として後輩指導にあたられていた筈と思います。この人の管理馬なら、きっととてつもないスーパーホースが次々現れてきていたのかも知れないですねぇ・・・。
彼も天才的騎乗ですよ・・。
しかし・・・サンケイ新聞のコラム、いつもとても良い記事を載せてくれています。感激です。(^_^)
父を越える事の難しさ・・・・越えた喜びですか・・・、とても父にも息子にも、ただ一言・・・、感動のドラマですよねぇ・・・(^_^)。
まあまあ、ダービーは17番の祐一に1着取られて、ワタシの馬券は「荼毘」に伏しましたが、まあ笑って許してしまいましょう・・・。(^_^)
日曜は安田記念・・・、別に記念レースなんざどうでもいいのですが、買いたい人がいれば実力値を出しますよ・・・。(^_^)
いや・・、出してしまいましょう・・か?。
明日ウラの「至上最強の競馬」で掲載します・・。(^_^)