2019.8月のお盆の頃です・・・(^_^)。 No.793
北海道2019の②がなかなか進みませんので、こちらに夏の記憶を先に載せてしまいました・・・(^_^)。
まずは、山口県下の状況からです・・・(^_^)。
やって来ましたのは旧山陽道に面した、山口県周南市大字呼坂21-1 の鶴声軒本舗 (かくせいけんほんぽ)です。「鶴の最中」が絶妙な旨さなんですよ・・。毎年、此処に立ち寄りますが、ご主人と娘さんがとても丁寧な応対をされる方で、爽やかさに気持ちが和みます(^_^)。
タベログでは3.32ですが、ワタシ的には5.0です。
旧山陽道はすっかり裏道になってしまいました・・・。
古い、昭和の名残を残す店ですが、とてもすばらしい店です(^_^)。
上品な甘さが魅力ですよ・・・。
つぎにやって来たのが田布施の伊藤博文記念館です。このような建物です。
伊藤博文公、身長は150センチ程度と思しき様子。資料として展示されていたベッドがとても小さかったのです。写真を撮ろうとすれば、係員が飛んで来てどやされ(叱られ)ました(/_;)。
これが旧伊藤邸です・・。もちろん復元です。全て閉められているのは休館日に来たからで、また次の日にもしつこくワタシはやって来たのですよ・・・(^_^)。
休館日にはこのように戸が閉められています・・・(/_;)。
博文公の産湯の井戸と言われています・・・。
次の日には開いていましたよ・・・(^_^)。内部はこのようになっています。以外と広いです・・・。
父重蔵、母琴子と利助(博文)はこのように食事をしていたのですねえ・・・(^_^)。
写真も飾られていましたよ・・・。撮るのを忘れました(/_;)。
敷地の中に、資料館と博文が建てたと言われる洋館がありました。
これが洋館の入り口です・・・。入館料は無料です。資料館は有料でしたが・・・。
和洋折衷の、綺麗な洋館です・・。しかし、博文が住むことはなかったのです(/_;)。
1909年、ハルビン駅で朝鮮民族主義活動家の朝鮮人・安重根に暗殺された後にこの洋館は完成しているのですから・・・。誰よりも朝鮮の近代化を推し進めていた人物が、朝鮮人により暗殺されたのは皮肉な話です(/_;)。
その暗殺者が、現代では英雄に祀られる国って・・・何処かおかしくないですかねぇ(>_<)。
入り口を入ればこんな様子です。この日は来訪者は少なかったです・・。
1階の奥です。
2階の洋室・・・。
2階のトイレですが、明治時代にしてはハイカラな設備だったのですねえ・・・。
とてもりっぱな部屋です・・・。でも、博文公は使う事がなかったのが無念だったと思いますよ。
和室2つ・・・。
廊下の奥が雪隠です・・・(^_^)。
隣の資料館を臨むと・・・こんな様子です。
階段から、立ち入り禁止の部屋を見て見れば物置でした・・・(>_<)。
ここからは個人的な画像になりまして、ようやく1歳5ヶ月になった子猫堂です・・・(^_^)。
何か思案をしています・・・。
何故ボクを撮るんだにゃ~~と言っています(^_^)。
「撮らないでよ~~。」
ボク、これから・・・まだまだ食べるんだモン・・と言うお顔です。
オクチに何かついているよ・・・・。
エプロンつけてもらったから、まだまだ食べるもん・・・と言うお顔です(^_^)。
ごちそう様をしました・・・。オクチも綺麗に拭きました・・・。
子猫堂も毎年山口にはやって来ています・・・。今年で2回目かな・・・(^_^)。
この次の日からは台風が接近で雨・・・、何処にも行けなかったのですよ・・。
帰りの高速も雨の中でした・・・。それが広島で、真夜中の深い霧・・・、慌てふためきました・・(>_<)。
何事もなくてよかったです・・・。
快晴の日に、外に出たついでに国道3号沿いの丸味さんによって見ました。田舎にしては開店11時に満席になってしまう店です。
カツドンが有名らしいですが、ワタシ的には普通でしたね・・・(/_;)。
県外ナンバーが沢山停まっていました・・・。結構有名なんですよね(^_^)。
ボリュームはありましたよ・・・(^_^)。
そして・・・忘れてはならないのが、某所の「日本一冷たい自動販売機」。
これも今やかなり知られるようになって、いつもクルマが停まっています・・。
電気は何処から取っているんだ~~とたどってみれば、ナント・・・電線から取られていましたよ。ひゃあ~~スゲェ・・・ですよ(^_^)。
毎日数えている朝顔・・・、今日は白の栄養失調6輪に大きな青紫1輪、計7輪咲いていました・・・(^_^)。
よくもまあ、毎日この時期に・・・ですよ。