ついに和歌山でも支那ウィルスが出ました~~(>_<)。 No.914
和歌山・大阪は電車で1時間程の距離なんです・・・。
湯浅で患者が出たと書いてありましたから、和歌山~湯浅だと、もう40分はかかりますから、大阪から1時間40分圏内でウィルスが出たと言う訳なんですよ(>_<)。
これはかなり深刻ですよ・・・・。ひゃあ~~、迂闊に外には出られなくなってしまいましたね・・・(/_;)。
いつになれば沈静化するのか、それが見通せないのと効くクスリが無いのが恐ろしいですよ・・・。
クスリなんか、沈静化して・・・もう忘れ去られた数年後に開発されるのでしょうから、じっくりと待つ訳にもいかないですしねぇ・・・・(/_;)。
なるべく人混みには出ないようにしないといけないなあ・・・と思いましたよ。
この頃電車にも・・・路線バスにも乗りませんから、インフル菌を貰う事は少ないのですが、それでもスーパーなどは人混みだし、どんな病状の人がいるかも知れ無いから気をつけないといけないですよねぇ・・・・怖!。
それなのに、WHOのオッサンは支那擁護の・・・軽はずみな弁明ばかり繰り返しています・・・(>_<)。
コイツ・・・、かなり脳まで支那ウィルスに犯されているように感じましたよ・・・・(>_<)。
今日は公園を7周・・・・2100メートルだけ歩いて見ました。やはり足が重いですが、心なしか昨日よりは楽に歩けたように感じました・・・。
まあ、2キロ歩ければいいのですよ・・・・(^_^)。
大体が、何処の名所・旧跡でもクルマやバイクを置いてから3キロ4キロ歩いて・・・と言う所は少ないですからねぇ・・。
まあ、せいぜい500メートルも歩けばいい訳ですから、最低限度を2キロに設定しています(^_^)。
明日も晴れならば歩いて見ようと思っています・・・。
今年、座る角度によれば・・・やはりイタイです。その痛みも断続的な痛みですから、まあ許せる範囲ですよ・・・。
それにしても土曜日・・・・・ちっとも楽しく無かったですねぇ(/_;)。
ウチでごろごろして、暇つぶしに禁を破り競馬をしたぐらいでした・・・。これも、全く当たらない・・・・(>_<)。
ばんえいと佐賀で2本当たりましたが、購入資金よりも配当の方が少なくて、結局マイナスでした・・・・。
JRAのメインは、直前でアタマを入れ替えたら、それが見事に外れて・・・入れ替えなければ取れていましたからねぇ・・・(>_<)。
もう、まさに・・・ドツボの日でしたね・・・。
まあ、どんよりとはしていたけれど、暖かい風の無い日であったのが救いで、少しづつ春を感じさせてくれるようでしたから、それだけが心地良いかぎりでした・・・(^_^)。
A氏がFBで面白い本の紹介をされていました・・・。
最後の色街飛田云々・・・と言う本でしたが、ワタシは飛田と言う色街には足を運びたいとは思いませんねぇ・・・(>_<)。
隠微な、妖しい雰囲気はとても興味をそそるのですがねぇ・・・・。(^_^)
飛田だけは胡散臭くて、しかも陰険な感じがして・・・さらには辟易するような独特の雰囲気があるので、嫌いを越えた気持ちの方が強いですねぇ・・・(/_;)。
昔の名残の赤レンガの塀が残っていた時期もあったのですが、そんなの今もあるのかな・・・・と、現在の様子は分からないままです・・・(>_<)。
もう20年前に、古い江戸の地図を手に入れ、吉原の様子がどのようになっているのかを歩いて見た事がありました。
かつての隅田川の支流の土手はもう現在は見当たらず、遊郭の堀は埋め立てられて道路になり、当時とは位置が異なるものの「見返り柳」がみられただけで、吉原の仲の町通りの街並みはすっかり形を変えていましたよ・・・(/_;)。
古い、いかめしい置屋は全く影も形もありませんでした・・・。
大門跡は喫茶の前あたり・・・、見返り柳から大門までの、ゆっくり曲がった道だけは江戸期と全く同じようでしたね・・・・。
仲の町通りを歩いて、現在の花園公園にぶちあたる右側に、昔の昭和期の花街で働いていた人たちの特殊な病院が有ったのですが、これはワタシが歩いた時には閉ざされて廃墟になって残っていました・・・。
現在はとても綺麗な区立台東病院になって、すっかり様子を変えてしまっています・・・。
吉原は滝田ゆうセンセイの漫画にもよく出てきたところです・・・(^_^)。
滝田ゆうセンセイは、よく新宿2丁目の赤線も漫画にされていましたねぇ・・・(^_^)。
「この先、抜けられます・・・。」なんて看板が懐かしく思い出されますよ・・・(^_^)。
新宿の2丁目の、あの汚らしい店が建ち並んだ一角で、よく飲んだりもしましたからね・・・・(/_;)。
今は都庁になっていますが・・・。京王ホテルに泊まって、都庁を見下ろした時に、昔の様子を探してみたのですがすっかり分からなくなっていました・・・(/_;)。
ありゃ余計な事まで話してしまいましたねぇ・・・(>_<)。
遊郭探訪は、一昨年は小樽の松ヶ枝と色内を捜索・・・、でもすっかり住宅地に変わり、それらしき様子は影を潜めていました・・。
昭和40年代後半の、小樽が・・・まだ・・・どぶ川の汚い街で有った当時は、残っていたようだと聞いた事があります・・・・。(/_;)。
啄木さんが遊んだと言う・・ゆかりの遊郭ですよ・・・・。(^_^)。
啄木さんって、まあ今で言えば性依存症の・・・まさに病気の人ですからねぇ・・(^_^)。
か弱い、神経の細やかな・・・大人しい・・・それでいて研ぎ澄まされた感覚の人・・・と言う、そんなイメージでは無いですからねぇ・・・(^_^)。
まあ、どちらかと言えば、自分勝手で無神経な・・・恩を仇で返すような・・・そんなタイプの人ですよ・・・(^_^)。
まあまあ・・・ワタシは啄木研究者では無いですから、迂闊な事は言えませんがねぇ・・・。
言っとるやないか・・・・ですが・・・(^_^)。
遊郭で、まさにこれぞ遊郭・・・と言うのは、松山道後のネオン坂、さらには小倉の紫川沿いの船頭町・・・、これらは昭和が終わるまで営業を続けていたようですよ・・・。
船頭町には古い、まさにこの建物・・・!と言う遊郭の名残が残っていましたからねぇ・・・・。
街の探訪をして見るのも、結構楽しいところがありますよねぇ・・・(^_^)。
知らない街を歩いてみて、昔の様子が残っていればそれがとても嬉しいのですが、それが段々となくなりつつあるのが無念ですねぇ・・・(/_;)。
吉原の見返り柳ですよ・・・。
「修羅の街」の現在の船頭町のようす・・・。
すっかり形を変えてしまって・・・昔の面影も無く・・・(/_;)。
こんな路地に、わずかに昭和の名残が残るのみですよ・・・・(/_;)。
ワタシが見た、大きな置屋跡は・・・もう今は無いようですねぇ・・・(/_;)。
メチャクチャ・・・味のある漫画が「滝田ゆう」センセイの作品です・・。もう亡くなられて久しいですが・・・・。(/_;)。