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数日前の新聞記事、「粋」の持つ美しさについて感じたこと

 数日前の某新聞に、 神田伯山についてのこんな記事が載っていました。それを読んでこれこそ「粋」の深長だと感じたので紹介してみます。

 

 初代神田伯山が末弟子~連れて外出した時のこと、「蕎麦でも食うか・・。」と蕎麦屋に入り、頼んだのが1人前。末弟子は「なんで師匠はオレに食わせてくれねぇんだ・・。」と首をかしげていたそうですが、末弟子が実家に帰り、この話を親父に話した時に、親父は「師匠、ありがとうごぜぇやす・・。」と三つ指ついて師匠の家の方角に深々と頭を下げたというくだりでした。

 どういう事かと言えば、師匠の伯山は体で、「いいかい、おめぇ・・・うんと勉強してさ、蕎麦ぐらいいつでも食えるようになるんだぜ~~。」という事を教えたかったんですねぇ。

 末弟子の親父はそれが身にしみてわかったので、師匠の心意気に感謝の念を示したということなんです。

 まさしく、これってホントの「粋」ですよ・・。この末弟子が二代目神田伯山です。

 当時の初代は「天一坊で蔵建てた・・・。」と言われるぐらいの超売れっ子、弟子も80人を下らなかったといわれますから、まさしく飛ぶ鳥を落とす勢いだったと思いますよ。

 それがこんな風にさりげなく身を持って教えることが出来るのですから、さすが江戸っ子というのは「粋」の奥が深いですねぇ・・。(^_-)

 まあ、初代は川崎の出身ですので江戸っ子というには程遠かったかも知れないですが、それにしても江戸時代の人は粋な計らいが出来たのですよね・・。カッコいい・・(^_^)/~。

 

 これが今だと、末弟子であろうが兄弟子であろうが、「師匠、オレにも蕎麦頼んでくんなよ・・。ケチケチしねぇでくれよ・・。」と突っかかるのでしようねぇ・・。

 何より、弟子の親父がこんな事を聞けば、「なんだいそのクソ師匠は・・、蕎麦ぐらい食わせてくれねぇのかい・・、オメェそんなクソ師匠の弟子なんざ辞めちまいな・・。」と師匠の心もわからないまま、激怒するのですかねぇ・・。

 

 時代は変わっても、人の心は同じだと思うのですが、どうも今の世の中、軽薄短小すぎてギスギスした嫌いを感じてしまいます。

 しかし、この末弟子も偉かったのですねぇ・・、率いる兄弟子を追い落として、二代目を襲名するのですから並々ならぬ努力があったと思います・・・。

 

 神田伯山ですか?。講釈師です・・。

 今は神田紅(くれない) さんというインテリネーサンが活躍していますが、もともと神田派は講釈の世界では抜き出たものがありましたね。

 紅さんは2代目神田山陽の弟子です。初代山陽は3代目伯山の弟子です・・・。

 

 この伯山ですが、2代目、3代目と明治期には隆盛を誇り、4代目が空白になっていましたが5代目を襲名したのが岡田 秀章。後に5代目改め4代目とあやふやな状態になったまま、昭和の高度経済成長期にこの人は亡くなっています。まあ、大変な変わり者だったとか・・・。(-_-)

 講釈師の活躍が近年ではほとんど感じられませんが、以外と講釈は面白いものなんですよ・・・。(^_-)

 天一坊なんて、今の時代の人にはピンと来ませんが、かの暴れん坊将軍8代吉宗の私生児を名乗って浪人を集めてはよからぬ事を企んでいた山伏坊主です。

 これを浪人の本多儀左衛門に訴え出られて、幕府役人が源氏天一坊を捕らえてみれば私生児なんて真っ赤な嘘がわかり、天一坊は死罪の上獄門、一味は遠島、儀左衛門にはご褒美と明暗が別れ、なんとこれをお裁きしたのがかの南町奉行大岡越前忠相で、まさに大岡裁きのみごとさが当時の幕末の人には受け入れられて、さらには歌舞伎にまでこれが取り入れられたということから「天一坊で蔵が建つ」とうたわれたのですよ・・(^_-)。講釈師の語り調ですよ、バンバン!。

 なかなかしゃれた講釈師だったと思いますよ・・・、初代は。

 二代目は水滸伝を得意としていたようですねぇ・・・。

 

 「粋」なんて難しいものだと思っていましたが、心意気に通じるものがあるのですねぇ・・・。

 それにしても新聞記者さん、さすが~~博学(^_-)。すばらしい「粋」な事を教えていただきましたよ・・(^_^)/~。

                       ありがとうごぜ~やす。

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