人生は夕暮れから面白い

冒険心と感動を持たない人生はつまらない

貧乏天丼

 「関西ではカレーの次の日のメニューはカレーうどんと相場が決まってるのですよ・・。」

 なんて番組をやっていたのを以前見たことがあります。(^_^)

 ですから、カレーは多い目に作り残りは小鍋に移して冷蔵庫で保存して次の日に回します。

 で、テレビで感銘を受けた事でもあるし?、世論?通りに明日はカレーうどんです・・。ギャハ・・

 もっとも昼にカレーうどんにしようと思うのですが・・。

 ワタシの場合はうどんのつゆを作り、そこにカレーを入れて味を調整します。所に寄ればうどん玉の上にカレーをかけて出てくるところもありますが、これは余り好きではありません・・・。

 

 うどんと飯・・・・、このレパートリーが関西ではあたり前なのに、関東では不人気ですねぇ・・。(^_^)

 関東の友人は「主食と主食の食い合わせじゃねぇか・・。食えねぇよ~。」なんて言ってましたが、なかなか・・・、これがよく合うのですよ・・・・。(^_^)

 お好み焼きと飯、焼きそばと飯・・・・なんてメニューも大阪では厳然と威光を放つメニューなんです・・(^_^)。

 栄養価云々はおいてと・・・、とにかく腹がいっぱいになります・・。この食い合わせに慣れれば最強のメニューです。

 はなまるうどんとか、丸亀うどんでも常に見るありきたりの光景です。

 

 はなまる・丸亀と言えば、うどんとご飯を頼んで、ご飯に天かす(揚げ玉)をいっぱいブッかけて、天つゆをかけて(そのため用か、用意されているのですよ(^_^))、貧乏天丼にして食べるのが不思議なトレンドらしいです・・・。

 まあ、ワタシもまだこれは試してみたことがないのですがねぇ・・・。ちと恥ずかしい気がしまして・・・(汗)

 強者になればご飯だけ頼み、貧乏天丼におつゆはうどんの継ぎ足し用を椀に入れて・・・とやるらしいですねぇ。(笑) すげぇ安上がりになるとか・・・・。(大笑)

 

 まあ、人それぞれですので、決して批判も賛美も出来かねるのですが・・・。

 でも、貧乏天丼うまそうですねぇ・・・(^_^)。でもなぁ、かなりの油分を摂取しそうで、せっかく引っ込んだ腹がまた出てきそうで怖いですよ。(T_T)

 今度、こっそり試してみることにしますか・・・・・。ギャハハ~~~。(^_^)

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ご飯に天かすを山ほど入れて・・・・ネギを入れてもいいなあ・・・

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  若者よ~おいちゃんのマネはしないようにね・・。デートでこんな飯を食わせたらきっとカノには振られること間違いなし・・・。

 でも、これなら2人で130*2・・・260YENで済むよね(^_^)

 

 

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今夜はカレーの日 でした

 先日、コンビニのゴミ箱にもたれて、携帯で大きな声を立てているオバハンに遭遇しました。

 側を通ればそれが聴いたこともないような言葉・・・。  チラっと顔を見たらインドかネパールかバングラか・・、あちらの方のオバハンでした。スカーフ被った服装の様子から、まさしく南アジアの人に違いないと思いましたね・・。

 この頃、やたら外国人を見る機会が増えてきました。子どもの時には考えられないような国際化ですね・・。

 もっとも常に見るのは声のデカイ、態度もでかい・・・、そんな頭の黒い外人ばかりなんですが・・。

 

  インド人?のオバハンの記憶も飛ばないうちに、今日友人からもらったメールには嫁が展覧会に行っていないので昼飯を外食しています・・とありました。

 インド人のカレー屋で、カレーと食べ放題のナンと生中2杯で結構安いんですよ・・と書いてもありました。

 読んでいて、「でもここの店はいつもインド映画ばかりテレビで流していて、それもアーリア系の美男美女が出てくるのですが、ドラヴィダでは映画にならんのでしょうかねぇ~~。」と素朴な質問がありましたので、ふと気にかかったような状態です。

 アーリア系って確かに見た目はカッコいいですよね・・。ワタシは民俗学的な事はわからないのですが、もともとインド・ヨーロッパ語族に属する、まあゲルマン系とも兄弟分みたいな民族ですから、確かに映画などでは美男・美女はサマになるでしょうねぇ・・。

 ドラヴィダはニュージーランドマオリとか、オーストラリアのアボリジニーの兄弟分ではなかったかと・・・。

 どちらかといえば、チリチリ頭に、いかにも南方系を思わせる、幅広い顔に目の離れた点が特徴ですよね・・背も低いし・・・。歳がいけば手塚治虫センセイのマンガに出てきそうなクシャオジサンみたいなのが多いですよね・・・。

 そりゃ、映画には向かないのでは?(笑)とふと思いましたよ。

 

 アーリア系はペルシャもイランも元々は兄弟だろうし、この種族はきわめて幅広い民族だからワタシには詳しく答えられないですよ・・。

 カーストを形作ったのはアーリア人でしたよね・・。ヴァルナっていう、あの色分けの4つの身分に2つの不可触賎民。 これがカーストですよね・・・。

 友人はカーストの事も細々書いていました。なかなかの博学ぶりに頭が下がります。

 

 インド人でびっくりするのは元々白人ですから、目の青いのもいるのですよ・・。

 ずっと以前に街で見たインド人青年は目が青かったです。へぇ~以外・・・という驚きでした。そりゃ映画の俳優にはバッチリですよねぇ・・・。

 

 話は違うのですが、ずっと昔にインド人の経営するカレー屋に入ったときに、ビーフカレーなんてメニューがあったのですよ・・・。

「え~~、なんでインド人がビーフ食うねん、こんなのいいんかいな?。戒律守らないんか?。」って聞いたら、店の親父が、「オレらは食わんけど、オマエら食うやろ・・。それでメニーに入れてるんや。」と言うことで納得したことがありました。

 なるほど~~こいつらも日本人向けに商売やっているんや・・・(^_^)と妙な感心です。

 

 車で走っている時、色の浅黒い見るからにジジイとおぼしきバイクの奴に御堂筋で左のフェンダーブチ当てられて、クラクション鳴らし回って止めてみればインドの青年やった・・という事もありましたしねぇ・・。

 コ奴は本町で貿易会社やってまんねん・・・と言ってましたね・・。インド人が「やってまんねん・・・。」と言うのですからすごく違和感あるものの、親しみでしたよ。(^_^) まあ、それで多少の傷は御赦免にしましたけど・・。

 この間から、考えもしなかったインド人が出てきたことで、それで今晩はウチもカレーの日でした・・・。。(^_^)

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                   アーリア系の美女 インド人ですよ(^-^)

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連休の谷間です(^-^)

 この連休、もう出かけるのが面倒になり、何処にも行かなかったです。

 だいたいが自堕落なセイもありますが、世間が休みの時にはのんびりして、世間が忙しく立ち働いている時には楽しく遊びたい~~なんて考えてしまいます。

 テレビの高速の様子見ました・・・。ラッシュで45㌔・・・なんて、まさに超人的ですよね(^-^)。高速どころか、拘束道路ですよね・・。

 

 ということで5日も夕暮れです。今日はこどもの日でした。した・・ってと言えども、まだ終わってはいませんが・・。

 この3日からうちのママさんは田舎に行き、坊主は今日は大学時代の連中と飲み会とかで出かけていきましたから、ひとりで好き勝手しています。

  

 これを書いていると駅から電話がありました・・。大急ぎで迎えにいきましたデス。(^-^)

 

 

 ネットで競馬していましたが、船橋の1レースで朝5万に少し切れる3連単を当てながらですよ、締め切りに間に合わず買えなかったのです。

 悪い事は続くもので、4レースから買い出せば、なるほど27倍当たり~(^-^)。

でも、これは5と6を入れ違えていたので結局ハズレになっていたのです。オチありすぎ~~(/_;)

 もう~~~っと、気合い入れても名古屋も園田もあざ笑っているのか、微妙に外れます。面白いぐらいに微妙に外れるのです・・・・。あと少し~、わぁ鼻差・・・なんて言う、まさにからかわれている状況です。

 もうダメか・・・今日は負けか・・・と思ったところで、船橋で50倍台後半をゲットこれで一気にプラスに浮上しました。(^-^)

 でも、女神はこれまでで、あとはお逃げになって、もう段々つまらなくなってウマはひとまずここまで・・・。結果はプラス数十円というところです。

 やってられんですよ・・・。

 

 船橋の1レース終わってから4レースまでの間は空白ですが、実は駅前にカレーを食べに行ってました。松屋です。380円の、あの能なしカレーです。コ〇イチで食いたいなんて思いません。(^-^)

 松屋ではガイジンのオッサン3人組が定食を食べていましたよ・・・(^-^)。以前も朝メニューの納豆定食を食べているガイジンさん見たことがあります。

 エライ国際的になって来ましたよ、わが取り柄の無い街も・・・。(^-^)

 そのあと、帰ってから生ラーメンの大盛りを、ネギとチャーシューを大量に入れて食べました。松屋カレーは量が少なすぎます。当然足りません。だから食い直しです。

 まあまあ、これで朝昼兼用は終了です。

 しかし、カレーもラーメンもその場だけで、腹持ちって結構悪いのですよ・・。2時間もすれば腹が減ります。

 4時過ぎにはマックに走り、てりやきとポテトを持ち帰りで買ってきました。

 ジャンクフード大好きです。(^-^) 安く、大量に食えますからね・・・。

 飲み物は割高ですから買いません・・・。家で飲めば安上がりです。

 だいたいが、仮に100万単位で儲けても10円20円をケチる性格ですからね・・・。(^-^)

へへへ・・・。マックのドリンクは頼まないです。

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 もう夕方じゃあないですか・・・・。

 夕飯は今日は作りません。ひたすらガマンです・・・、なんて嘘で、ガマンなんてできないですから、それなりの時間を見て外に行くつもりでいます。

 また駅前・・・、今度はガストにでもするかなぁ~~です。

 

 まあまあ気楽にやっています。この気楽さがまさしく心のゆとりになるのですよねぇ・・・。

 

 連休終わったら、もう仕事行くのが嫌になりそう・・・。(/_;)

 

 

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夢のような旅の日の一コマ つづき

 途中で競馬の話が入ってしまい、申し訳ないです。

 

 札幌からの帰りのことですが、再び弘前に降りて泊まりました。弘前はいつも通過の街でゆっくり歩いたこともなかったのです。

 ですから弘前城址を見たり、ここから見える岩木山を見たりとのんびり歩き回っていました。

 弘前からは五所川原に出れば津軽中里まで津軽鉄道が走っています。いちど津軽鉄道にも乗りたいと思っていましたのでJRで五所川原に出て乗り換えることにしました。

 この時に乗った列車が、俳優の香取慎吾さんが幼稚園のおちびちゃん達とペインティングした列車だったのですよね。

 テレビでCMを見る度にどこの鉄道だろう・・・と思っていました。まさか、自分が乗ることになるとは思ってもおらず、感激のひとことでしたよ・・・。(^-^)

 津軽鉄道はりんご畑の中を縫うように走っていきます。まさに手を伸ばせば白い袋がかけられたりんごや赤く色づきかけたりんごにも届きそうな距離感です。

 まさかぁ、りんごを黙って頂いたりはしませんが(^-^)、その光景を眺めていました。遠くに、見る角度により姿を変えながら岩木山が望め、真夏であるにも関わらず涼しい風が車内に吹き込み、また車内には扇風機が古風に回り、まさに旅の醍醐味を感じさせてくれる列車の時間でした。

 金木まで行こうと思っていました。金木は太宰治の生家津島家が「斜陽館」という名前で旅館になり、その後は資料館として開放されています。

 これをぜひみようと思っていました。

 今でこそ金木駅はきれいに建て替えられて、観光地の駅になってしまったようですが、ワタシが訪れた時にはまだまだ田舎の、風情のある駅でした。

 駅を降りて、斜陽館に行く道をたまたま一緒に駅に降り立ったご婦人にお聞きしたのです。

 

 ここからですよ~~~、まさに夢のような出来事は・・・。(^-^)みなさんいいかな~~~。

 

「では、一緒に途中までご案内しましょう。」と言って頂き、ふたりで歩きはじめました。この方は白いワンピースを着て、白いパラソルを差しておられました。

「あなたも観光に来られたのですか?。」とワタシ・・・。

「いえ、青森市内に住んでおりますが、母が今はこの町にひとりで住んでおりますので絶えず様子を見に帰ってきているのですよ・・。」

 会話はこのぐらいだけで、ほとんど無言のまま二人で歩いていました。

 細い十字路にさしかかったとき、

「では、ワタシはここで失礼致します。このまま真っ直ぐお進みいただければすぐに左手に斜陽館が見えて参りますので・・。では、ごきげんよう・・・。」

 ワタシも丁寧に、「ありがとうございました。お手数をおかけしました。」ときちんとお礼を申し上げてお別れしました。

 その方の後ろ姿をしばらく見送っていました。

 颯爽と背筋を伸ばした、スタイルのいいご婦人の白いワンピースと白いパラソルが、真昼の強い日差しの中に、白く照らされた道の向こうへと段々小さくなっていくこの光景・・・が、まさに映画のシーンのような情景だったのですよ・・。

 監督が「ハイ、カット~~。ごくろうさん・・・。」と声をかけそうな、そんな雰囲気だったのです。

 ワタシはレイバンのサングラスをかけていました。サングラス越しの、くっきりした町の中での一コマが、心に焼き付いて20年少し経った今も鮮やかに甦ってきます。

 ホント、絵になる光景でしたね・・・。

 とここまで・・・。(^-^)

 

 金木の斜陽館をゆっくり見て、金木駅に着いて乗った列車は行きに乗った列車の折り返しでした。びっくりしたのはたまたま行きと同じ車両の同じ席に座ったら、向かい側におじいさんとお孫さんの二人が行きと同じように座っていました。いや、お孫さんは座席で寝ていました。

 このおじいさん、子守でこうして毎日列車に乗っているのだろうか・・・とふと思いましたね。

 五所川原に戻れば、弘前行きの列車までまだかなりの時間。昼を食べていないことに気づいて駅近くの食堂に飛び込みました。

 ところが、食堂のおばちゃん・・・・。全然注文すら聞いてくれないのです。こちらの存在には気がついているのにですよ・・・。シビレを切らして、「おばちゃん、何が出来る?。」と聞けば無言・・・・・。

 「おばちゃん~~、何が出来る?。」

フランス語のようなアクセントの津軽弁で、「いま飾りもん作っているから難しい・・。」というような事を返してくれましたので、

「何を作っとるんや?。」とのぞき込めば、明日からのねぷた祭りのかぶり物の飾りでした。

 ねぶた祭りは青森で、ねぷた祭りは弘前です。

「ふ~~ん・・。」とワタシも注文を忘れて、その飾り作りをしばらく眺めていて、結局何も食べずに店を後にしました。

 五所川原から弘前までは、バスの方が早く出発すると聞いたのでバスに乗り、弘前駅に降りてから今は無きダイエーに入って、サンドイッチとビールを買い簡単な昼を、中途半端な時間に済ませました。

 五所川原でもバスが出る間での間に、町内もあちこち歩き回ってみましたよ・・。

 ねぷたは縦の人形なんですねぇ・・。もう、何処とも祭りの準備に余念が無く、みなさんそれのみにかかっておられましたねぇ・・・。

 

 弘前でもう一泊して、ねぷた祭りを見たかったのですが、生憎何処も空いている宿は無く、仕方無く断念しました。4時過ぎの、大阪行き寝台「日本海」の指定切符を持っていましたので、もう弘前は次の機会に・・・と思い帰ってきましたが、それ以後20年少し経つのに弘前を訪れたことは無いのです。(/_;)

 

 寝台車って好きです。昼間は座席が広い割に3人掛けですからゆったり座れます。(^-^)

 午後4時少し発の日本海は、もうベッドがセットされてありました。

 寝台車って寝るのがもったいないのですよね・・・。通路になっている窓側の椅子に腰を下ろして、外の景色を見ているのがたまらなく好きなんです。

 明るいうちは景色も充分見れるのですが、やがて帳が降りれば暗闇が窓の外に広がるばかりです。でも、畑や山間部だけを走ることなく列車は町の中も通りますから、線路際に住んでいる様々な人々の日常がすぐ近くに感じられます。

 夏場は開け放した窓の中の、人々の営みが手に取るように垣間見れ、映画のワンシーンのように目の前を流れていきます。

 ある家では夕飯を食べていたり、またある家では夫婦ゲンカをしていたり、またある家では夜伽(通夜)であったり、無言のドラマが静かに流れていきます。

 走馬燈のように・・・という言葉が一番的確かも知れないですね。

 若い時はこんな景色を見つめながら、郷愁に陥いったり、また自分の先行きを案じたり、感傷に浸ったりと夜汽車ならではの物思いに心を痛めたこともありましたねぇ・・。

 夜汽車って、もう今のスピードの時代では死語になってしまいましたが、旅の醍醐味そのものでしたね・・・。

 

 

 そうそう、弘前の駅のすぐ横に江南鉄道に続く地下歩道があります。ここも歩いてみようと思い、往復してみましたが意外な事を発見しました。

 中学生らしい不良坊主が、この地下歩道の手前で降りてきちんと自転車を押して歩くのですよ・・・。まさに、えぇぇぇぇ~~~という驚きでした。

 こんなの某都市なら、注意の看板出そうが車止めしつらえようが、仮にガードマン立てようが不良坊主はおかまいなしの傍若無人ですよ・・・・。

 弘前の不良坊主って、きちんと躾られているのには驚きでした。

 

 ワタシはパチンコを止めて、もうかなりの年月が経ちますが、弘前で大人がこっそり入って行く店に潜入したことがあるのですよ・・。(^-^)

 看板も無い、音もしない・・・、何の店や~~と入ればパチンコ屋でした。(^-^)

 で、1000円で玉を買って遊んでみれば、それが意外な事に5000円の大箱一杯に玉が増えてしまったのです。(^-^)ラッキー・・・。

 で、ホテルに帰りしなに駅前で、シュラフに寝ていた大学生と話し込んでしまい、夜食を奢ってあげることにして行きに入ったすき家に再び足を運びました。

 筑波大の折り目正しい青年でした。理科の教師になると言ってましたので、もうきっと先生になられたのかも知れないですねぇ。

 今なら40歳半ばぐらいかなあ・・・?。池田君と田中君と言われていました。

 

 

 もの覚えいいでしょ・・・。(^-^)びっくりでしょう?。実はぁ・・・ワタシはサヴァン症候群なんです。(^-^)興味のあることは一度覚えたら忘れないですよ・・。

 

 まあ、この話はこの具合で・・・としておきます。(^-^)

 

 

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                    津島家  斜陽館

 

 

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名古屋競馬で大穴が・・・

 

 まだ昨日の続きをお話できていないのですが、競馬の事を少し・・。(^-^)

 いま、外出 から帰ってきました。これから門別競馬が始まるので大急ぎで帰宅です。

 

 買い目を出していた名古屋競馬8レース、買えていないので机上の論理ですが、わずか9頭立てでとんでもない大穴が出ましたね・・。

 計算式にかけて計算して、買い目の選定は 2 6 4 9 / 8 7 と並びます。

 ワタシは3連単は2 6 4 9を軸にして、ひと目では・・・・例えば2を軸にすれば6 4 9 8 7 は5頭(5*4)でボックス20点です。

 4つの頭では80点買いになります。

 

 馬単 9-7 33170円 (331.7倍)

3連単 9-7-6  233540円 (2335.4倍)

 

 メチャきつ~~い大穴になっていましたねぇ・・。まあ、高知の10頭立てで90万台の大穴が的中できているのですから、不思議でもないのですがね・・・。

 

 それにしても8000円が23万3540円ですよ・・・。

 これがウマの面白さですね。(^-^)

 

 計算式は秘密です。長年の経験則と思考で生み出しました。もう10年使っているかなあ・・・。(^-^)

 しかし、なんでワタシが買ってなければこんな超大穴が来るのですかねぇ・・・・

・・・????。(/_;)

 

 門別1レースバッチリ取りましたよ・・。8点です、買い目は。

 でも・・・、配当3連単で560円ですよ・・・。まさにメゲた~~~~。(/_;) 損やがなあ~~。

やってられんですよ・・・。(/_;)

 

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夢のような旅の日の一コマ

 いつ思い出しても鮮やかに甦ってくる光景というものがあります。もう20年少し前のことですが、青函トンネルを見て見たい・・という衝動に駆られて、ひとり旅に出たことがありました。

 いつもひとり旅はワタシの常識なんですが、何分子供が小さいときには若い頃のようにひとりで出ることは出来ませんでした。

 坊主が高校生になったことだし、もう親のワガママも許されるかな・・と青函を通り札幌までの列車旅です。

 この時に、あと数年で「特急白鳥」が無くなってしまう・・というように言われていたものですから、白鳥に乗ることも念願のひとつでした。

 若い時はこの白鳥で夏も冬も旅をしたものです。大阪駅を湖西線が出来る前は10時10分発。湖西線が出来てからは10時20分発でした。あの、今では想像もできない11番ホームからの発車です。今は明るく綺麗になりましたが、昔はうらぶれた雰囲気が漂った、違和感のあるホームでしたね。

 久しぶりの大阪発の白鳥乗車は最初はワクワクしていました。福井県での直流・交流の変換区間の惰力走行もそのまま・・・、それに人の乗り降りも多かったのですが、車内販売が無くなっていることに気がつかなかったのです。

 

 新潟から山形、秋田・青森とはとてつもなく時間が長いです。新潟で午後4時。日本海に大きく赤い夕日ガ沈む光景も、まさに昔のままです。

 それは感動的なのですが、現実はもう空腹の限界で、途中の駅にも販売は無く、ガマンの限界を通り越してしまい青森11時45分着まで待ちきれず、11時30分に弘前で降りてしまいました。

 車内は昔とは違い、人の姿もまばらでした。後ろの方に、教師らしい4人組が職場の事とか子供の事を話し合っている声が聞こえましたが、秋田弁か青森弁はフランス語を聞くようで充分聞き取れませんでした。

 それにしても、何故先生方がこの列車に途中駅から乗って来られたかも不思議なんですが・・・。(^-^)。まあまあ・・・・・。

 弘前の駅前のホテルに泊まり、次の日の朝早く青森を目指して出発することにし、まずは腹ごしらえです。

 田舎の街にしては結構大きい街で、歩きまわれば24時間営業のすき家が灯りをつけていました。

 

 すき家は当時関東以北にしか無く、大阪にはありませんでしたので珍しいというのが印象的でした。小さい冷や奴のついた牛丼定食を食べてホテルに帰り、列車で座り続けてひたすら痛かった尻を休めて朝まで熟睡しました。

 次の朝札幌を目指し、まずは函館へと出発です。函館までは在来線で30分、7時半の列車に乗れば8時に到着します。

 ワクワク気分で「どらえもん列車」に乗り込みました。

 なんと客はワタシひとりで、こんなにガラガラなのか・・・と思いきや、隣のホームに東京からの寝台車が到着すると降りてきた人々がどらえもん列車に殺到し、席はまたたく間に埋まってしまいました。

 まだ走っているのですかねぇ・・・、海峡〇号とかいう、あのどらえもん列車・・・?。

 

 函館まで、青函トンネルを見ようと期待していたのですが、列車がトンネルに入ると、そこはすっかり闇の世界。 で、全く何も見えませんでした。

 津軽線と小国信号所で分岐した海峡線は初めての路線でした。

 津軽線、とても懐かしい路線でした。津軽浜名で降り、今別町の寺で、たったひとり泊めてもらったことも懐かしい思い出ですからね・・・。

 函館からはスーパー北斗で札幌へ・・・。この時に、札幌駅が高架になり、大きく変化していた事を知ったのでした。

 札幌では、今もまだ走っている市電を撮ったり、藻岩山に登ったりしながらのんびりした日を過ごしました。

 

 

 帰りに、夢のような世界に遭遇したことを、次に書かせていただきますね・・・。

つづくです(^-^)。

 

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嘘から出た実(まこと)

 子供の時から台所に入るのが好きでした。わくわくした気持ちと好奇心と、それに冒険心というのでしょうか・・、自分で何か作ってみたい~~という衝動がありました。

 中学生の頃だったか、台所でごそごそしていると祖母に見つかり、「あんたそんな事ばかりしてると男仕になりまっせ・・。」とたしなめられました。

 昔の人はオトコは厨房に入らず・・というそれが道徳観念だったのかも知れません。

 丁度中学生と言えば世間の固定観念を壊して、再度構築していくような時期にあたります。祖母の言葉にカッときて、「オレは男仕になるんや・・。」と思わず呟いてしまいました。

 男仕(おとこし)とは、昔で言えば下男にあたります。明治生まれの人間には孫が男仕になりたい・・なんて捨て台詞を言うのを、あるいは腹立たしくまた悲しく聞いていたのかも知れないです。

 高校、大学と男仕になる機会は与えられませんでした。

 ワタシは就職して某市の職員になり、一人暮らしを他所の街で始めた為にいつしか台所に立つことがあたりまえになっていました。

 そして、結婚して家内も共働きであるために台所に立つ機会が増え、これがとうとう日常の光景になってしまいました。

 ふと思い出したこの話を家内にしたところ、

「よかった・・、(^-^)男仕と一緒になったから楽ができる・・・。」

と微笑んでいました。

 口から出任せであったにしろ、「嘘から出た実」という言葉があるように、もっと格の高い事を唱えておれば、それがきっとホントになったのでは・・・と思うばかりです。(^-^)

 

 今日、リッツカールトンで歓送迎会でした。すごく格式のあるホテルで、高そうな料理をいただきました。

 「オレは政治家になるんじゃ・・・。」なんて唱えていたら、毎晩こんな高級なホテルで酒を飲めていたかも知れないですね・・・。ギャハハ・・・。

 

 でも~~、男仕・・・・、家族のための男仕なら喜んでやりたいですよ。(^-^)

 いまやオトコもオンナもみんな平等な時代、男仕ができてよかったかな・・・なんてまさに喜びかも知れないですね。

 何でも料理はできる方です。同年代の、包丁も持ったことがないという人に比べれば器用な方ですよ。政治家になるよりは、まさに家庭に尽くしているかな・・・。(^-^)

 

 「家族のひとつも守れずに、天下国家を唱える奴はウマに蹴られて死んじめぇ・・・。」

 なんて、何処かのエライ人が言ってましたもんね・・・。

 

 人の生き様って、ほんと不思議ですよね。まさか~~、そんな風になるなんて・・。

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