今日は凄い風で・・・・。(>_<)。 No.751
午前に自転車の後タイヤが減っているので、替えに自転車屋に行きました。
国産6000円、支那産4500円・・・と言われて、ためらいもせずに国産にしました。
今まではブリジストンのロゴが入ったものを使用していたのですが、まあロゴはどうでもいいや・・・と、メーカーも分からないままの国産です。
時間がかかるからと言うので、預けてその時間で松屋に寄り朝飯を食べ、整形に行ってリハを受けて来ました。
終わってからスーパーで子猫堂のジュレなどを買って、再び自転車屋に戻り受け取ってから銀行にも寄って帰って来ました・・・。
子猫堂が夕方来ると聞いていたので、その為になんです・・・(^_^)。
行きにも大風が吹いていたのですよ・・・。
向かい風であった為に傘は逆さ松茸にはならないで済みましたが、帰りには後ろからの風で見事に傘がひっくり返り・・・、それだけどは無く骨が4.5本一気に折れて・・・無残そのものの姿になってしまいました・・・(>_<)。
たかが安いビニル傘なんですが、それでも使えるモノが突然壊れてしまったのですから、さすがに昭和ニンゲン・・・・、傘1本で凄くメゲテしまいましたよ・・・(>_<)。
向こうから来たオネーサンが、ワタシの傘が急に吹き上げられて、骨まで折れてしまうのを正面から見ていたらしく、目が点になっていました・・・(/_;)。
すれ違いざま・・・おそるおそる・・・自分の傘を短めに持ち、風に吹き飛ばされないようにして立ち去って行かれましたねぇ・・・・。
向かい風は大丈夫ですが、帰りには後からをワタシはすっかり忘れていましたよ・・・(/_;)。
もう、道に傘を投げ捨てて帰りました。
近所の人で、潰れた傘を処分して下さった方・・・・非常に申しわけないです(/_;)。
振らないかと思えば突然振り出し、さらには大雨になって・・・と、定まらない天候です。
梅雨に入っているとは言え、この期間がいつまで続くのか気が滅入ります・・・。
沖縄では梅雨明け宣言が出たと言う事ですから、あと10日もすれば近畿圏も梅雨明けなんですかねえ・・・。
早く、本格的な夏になって欲しいですよ・・・。
今年の夏は雨が多いと言う事ですが、夏は・・・やはり、ガンガンに晴れた日が嬉しいですよねぇ・・・(^_^)。
今年の夏はどんな天気なんですかねえ・・・。
明日からやっと7月です。昔なら、大学生の頃は7.8月と2ヶ月が夏休みでした・・・(^_^)。
昔は夏休みになれば嬉しかったですよ・・・。最も、ワタシは4月から夏休みをしていたような学生でしたが、夏は一人旅に出られる開放感がありましたからねえ・・・(^_^)。
今でも、その頃を引きずるように、今月末からHokkaiderです・・・(^_^)。
でも、今は10日だけ・・・。それでも気持ちは、待ち遠しいばかりですよ・・・。
今年の北海道の天気はどうかな?、良ければ嬉しいのですがねえ・・・。
もうボチボチ用意もしておかないといけないです・・・。
毎年持って行こうとして忘れるものがあるのが三脚です・・・。4年前に、長年使っていた三脚が何処にしまい込んだのか行方不明で、新たに安物を買ったのですが、これが3年連続忘れてしまって、未だに箱に入ったままの未使用状態なんですよ・・・(/_;)。
箱から出せよなぁ・・・せめて・・・と、自分でも思いますよ・・・(/_;)。
まあまあ、モノを大事にするのか・・・・、それとも・・ずさんと言うのか、性格はこれを見ただけでも物語っているように思えてなりません・・・(>_<)。
ただの・・・ずさんなだけやぁ・・・ですよねえ・・(^_^)。
今年は持って行こうと思っています。でも、ワタシはじっくり構えて写真を撮るような事は少ないのですよねぇ・・・。
昔はバルブにして、露出を長い目にして夜景を撮ったりしていましたが、今やそんな場面もありません・・・・。
夜景で思い出しましたが、昔は・・長崎の稲佐山から望遠で駅に停まっている列車を撮ることが出来ました・・。今は、稲佐山から駅の列車は見えません・・・(/_;)。
駅がアーチ状になり、造り替えられたのです・・・。
ふと、45年も前の写真を見ながら、その違いに気がついてしまいましたよ・・・。昔の稲佐山って、もっと暗かったような・・・????、これも時代の流れですかねえ・・・。
函館山の夜景も綺麗です・・・。でも、ひとつ思った事は・・・自分で撮らなくても、いっぱいネットに出ていますからねぇ・・・。
何回も今まで函館夜景は見ましたが、夜景は函館に限らず・・・何処も美しいですよ・・・ねっ!(^_^)。
ふと、長崎で思い出したのが、春日八郎さんの長崎の人・・・、「♪う~みを、みおろぉぉぉす、かいじん墓地でぇぇぇぇ・・、きぃみと別れぇた、き~りのよるぅぅぅ・・」、てヤツですよ・・・(>_<)。
外人墓地で霧の夜に・・・別れ話のデートかよ・・・、ぶ・・不気味過ぎ・・・と、光景を想像しただけでこりゃかなり引いてしまいますよ・・・・(/_;)。
確かに夜景は美しくても、ワタシは墓場でデートの趣味は無かったですねえ・・・。
ゲゲゲの鬼太郎も真っ青ですよ・・・(^_^)。
函館山の後側には火葬場もありますし、立待岬に行く手前の住吉町の墓にはおびただしい墓が並び、その中に啄木一族の墓もあります・・・。
海を見下ろす素敵なローケーションですが、夜にはとても来たくはないですねぇ・・・(>_<)。
三脚・・・やはり必要かなあ・・・、それでも持って行くかなぁ・・・ですよ(>_<)。
「おれは死ぬ時は函館へ行って死ぬ」(明治43年12月21日付・東京市本郷弓町に住む啄木から函館の宮崎郁雨に宛てた手紙で)ということから、啄木はこよなく函館を愛していたことがわかります。
明治45年4月に27歳という短い生涯を小石川区久堅町74番地46号(現・東京都文京区小石川5-11-7)で終えた啄木の遺骨は、節子夫人の希望で大正2年、函館に移され、大正5年に啄木の愛した立待岬に義弟・宮崎郁雨の手で墓碑が建てられました。
啄木は色内・松ヶ枝の遊郭をとても愛していました。今で言う、「性依存症」であったと考えられます。遊郭で使い果たした金は友人達からの借金であり、その総額は現在にして2000万円であったと言われています。
「東海の小島の磯の白砂にわれ泣きぬれて蟹とたわむるの」歌が刻まれた墓碑の前からは、啄木が散策した大森海岸を見渡すことができます。
とこんな説明を付ければ、啄木さん激怒するかなぁ・・・ですよ(/_;)。啄木さんごめんなぁ・・・・(/_;)。